オリンピックの起源に立ち戻る。ヤクザは暴力だけで生きていけると思い込んでいる。精神病になっている。腕力を毎日毎日同じく蓄えている精神病になっている。右翼も同じだ。しかしウイルス爆撃弾は国家の暴力の範囲を越えた。国境を越えた。国家論が消えた。そういう意味で新しい国家学は新しい政治経済哲学宗教学である。軍の廃止の演説である。スパルタの教育の香りとローマの闘犬の匂いがし過ぎるオリンピックから哲学を変える。それはカントの恒久平和のためにの哲学の世界にひたる瞬間としてのオリンピックに今のオリンピック中止をして変えてしまうことである。ヤクザは暴力のみで生きている。今のオリンピックも同じだ。スパルタから中国のマルクスレーニンフロイトの世界に変える。